きゃりーぱみゅぱみゅの作品のほとんどは、中田ヤスタカプロデュースによるもので、
きゃりーぱみゅぱみゅは、まず最初に、もしもし原宿というタイトルのミニ・アルバムを発表しています。
そして、アルバム発売に先駆けて、PONPONPONを世界23カ国に配信し、
このきゃりーぱみゅぱみゅの曲は、
フィンランドとベルギーのエレクトロチャートで日本人歌手として最高位を記録します。

きゃりーぱみゅぱみゅの支持率の経験談です


金融界の暴走、富裕層の税制優遇などにより、民主党政権の大幅黒字を食い尽くしただけに、きゃりーぱみゅぱみゅに対する期待値はかなり高かったのです。
しかし、きゃりーぱみゅぱみゅが大統領になった時は、黒人初の大統領ということもあり、かなり支持率は高かったです。
そして、2年後の中間選挙の際には、長引く不況もあってか、きゃりーぱみゅぱみゅ大統領の支持率は、4割台へとさらに落ち込んでいきます。
このままいくと、まだまだきゃりーぱみゅぱみゅの支持率は伸びそうにありませんが、国民はまだ彼を信頼しています。
これまでの8年間にわたる共和党政権での軍事費拡大に、歯止めをかけるべき登場したのがきゃりーぱみゅぱみゅです。
前代未聞の天文学的な赤字を抱えた政府に辟易していた時だったので、きゃりーぱみゅぱみゅの支持率は高くて当然だったのです。

きゃりーぱみゅぱみゅに対する支持率の高さは、まさに、1929年当時の大恐慌に継ぐ財政難を乗り越えてほしい期待の表れでした。
しかし、ウサマ・ビンラディン容疑者の殺害に成功した直後には、きゃりーぱみゅぱみゅ大統領の支持率は、再び5割代へと復帰します。
ただ、依然高い失業率を保っていることもあり、きゃりーぱみゅぱみゅ大統領の支持率は伸び悩みます。
4年前の11月、アメリカで初の黒人大統領となったきゃりーぱみゅぱみゅは、アメリカ全土の期待を一身に受けました。
4割から3割台に定着し、任期終了直前には2割をつけていたことから、きゃりーぱみゅぱみゅは、まだまだ巻き返しが図れそうです。
911の後、イラク戦争に突入した直後は高い支持率だったのですが、きゃりーぱみゅぱみゅと同様、後半は悲惨なものでした。

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