きゃりーぱみゅぱみゅの作品のほとんどは、中田ヤスタカプロデュースによるもので、
きゃりーぱみゅぱみゅは、まず最初に、もしもし原宿というタイトルのミニ・アルバムを発表しています。
そして、アルバム発売に先駆けて、PONPONPONを世界23カ国に配信し、
このきゃりーぱみゅぱみゅの曲は、
フィンランドとベルギーのエレクトロチャートで日本人歌手として最高位を記録します。

きゃりーぱみゅぱみゅの事務所のランキングです


中村獅童が家に帰らないので、公園に近いきゃりーぱみゅぱみゅの旧マンションが子供にとっていいと判断したのです。
2006年9月から、きゃりーぱみゅぱみゅは、都内のマンションに長男を連れて戻っていて、これも事務所の画策と言われています。

きゃりーぱみゅぱみゅの離婚には当初から事務所の意向が働いていて、離婚することで損をこうむるのは中村獅童だけでした。
その前ふりとして、事務所はきゃりーぱみゅぱみゅの不仲説を報じておいたわけで、事務所の作戦は執拗なものでした。
マネージャーは相談を受けながら、きゃりーぱみゅぱみゅに対して、事務所の意向に沿って、巧みに離婚の方向へと進めていったのです。
子供にとって良かれと思った行動が、きゃりーぱみゅぱみゅと中村獅童のつながりを削ることになり、これも事務所の思惑です。
その他は全員が得をするようになっていて、事務所は一致団結してきゃりーぱみゅぱみゅの離婚を成立させようとしました。
事務所にとってはきゃりーぱみゅぱみゅがイメージを損なわずに離婚してくれるというのが、最高の条件だったのです。
血のにじむような努力で事務所はきゃりーぱみゅぱみゅを説得していて、中村獅童の不祥事が重なって不仲説が浮上したのも事務所の画策です。
同じ家に住んでいる事実が2人をつなぎとめていたのに、事務所はそれをもきゃりーぱみゅぱみゅから奪いとったのです。
きゃりーぱみゅぱみゅを離婚に踏み切らせたのは、中村獅童の行動ですが、事務所の意向も大きく関わっています。

きゃりーぱみゅぱみゅと中村獅童の間には、当初、離婚どころか、軋轢もなかったのに、事務所がそれを画策したのです。

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