おせちの祝い肴三種、地方によって微妙に異なるんですね。
例えば、関東では数の子・田作り・黒豆を
上げる人が多いかと思いますが、関西では黒豆よりたたきごぼうが重要だったりなんかもします。
ですが、関西にはやはり本場丹波の黒豆がある以上、
やっぱり煮豆もおせちには欠かせません。
なので実際には、
数の子・田作り・たたきごぼう・黒豆の祝い肴四種が必要不可欠だったりなんかする訳なんです。

おせちの起源のポイントです


但し、このおせちの起源は信憑性が高いわけでなく、こうした起源は定かではありません。
海苔の販売促進行事や巻き寿司早食い競争がマスコミに取り上げられたことで、おせちは知られるようになっていきます。
戦いに大勝利を収めたことから、縁起が良いとされ、それがおせちの起源の始まりとも言われているのです。
故事を元にしているおせちの起源もあり、様々な起源説が唱えられています。おせちの起源は、諸説がありますが、有力なのは、江戸時代、大阪商人が商売繁盛の祈願から作ったとする説です。
しかし、これだけ、たくさんのおせちの起源説があるものの、いずれも不確かであるというのが実情です。

おせちの起源の説は多岐にわたり、土用の丑の日に鰻を食べる習慣に対抗する策としてできたものとする説もあります。
昭和7年頃、海苔などの販売促進目的で、節分の丸かぶり寿司のチラシを配布していて、そこからおせちが普及したとも言われています。
大正時代初期、大阪の花街で節分の時期に食べる風習があって、それをおせちの起源とする意見もあります。
節分の丸かぶり寿司という販売促進活動を実施していたのは事実で、それがおせちの普及に貢献したことは事実です。
昭和48年には、大阪海苔問屋協同組合がポスターを作成していて、寿司屋が共同で店頭に貼り出して、おせちの推進を試みた形跡もあります。
幸運巻ずしとしておせちの販促キャンペーンが展開された経緯もあって、その後、一般に浸透していきます。
また、大阪ではその当時、巻き寿司早食い競争なども行われていて、そうしたことが、おせちの人気に拍車をかけました。
おせちには、鬼の金棒に見立てて邪気を祓うという意味もあり、縁を切らないとか、福を巻く意味もあります。

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