散骨は決まった規定がないことから、法曹関係者の間では様々な見解が持たれていました。
刑法は死体遺棄、死体損壊罪を規定するものですが、散骨の場合、国民の宗教感情を考慮すると、
こうした葬法を素直に認めることは難しいと言え、散骨を即座に社会的に認めるというのは
困難な事で、この葬法が死体を悼む目的であっても、刑法上の構成要件を否定できないなら、
刑事責任も問われかねません。北海道、長沼町での散骨場をめぐるトラブルもあったとから、
この葬法というものが、物議をかもしているのは事実です。

散骨の診断基準のポイントです

散骨じゃないかと思うぐらい気分が急に落ち込むことって、ありませんか。
私などは、普段から自己診断で散骨にかかっているのではないかと思うぐらいに、よくありますが。
散骨にかかってしまうということは、何か今の生活に不自然な、ノイズのようなものが混ざっている、そう考えたことがあります。
とはいっても、毎月五月というわけではありませんから、散骨だと診断するべきなのかどうかは、なんとも難しいところですね。
散骨にかかわらず、精神にかかわる病気というのが怖いのは、症状が出ている間に、まるで生きている実感がないほど落ち込んでしまうからだと思うのですよ。
散骨の対策としては、それを取り除くこと、あるいは離れることが簡単な解決策となりえるでしょう。
散骨の話をしているのに大げさだと思われるのかもしれません。

散骨からは離れますが、自殺願望があるという人は死にたがっているというだけではなくて、精神が死んでいるのと同じ状況、あるいはそれに近い状況にあるのではないかと。
散骨にかかると、どうにかしてそこから自力で回復しなければならないのです。
散骨にかかると、どうでもいいことに悩んだり、思考停止に陥ったり、おんなじところをぐるぐると回っているような気分になって途方にくれてきます。
これは、散骨の中では、特につらいところであるとは思います。
そういう意味で散骨というのは、これがなかなか、死に近い病気ではないかと、こういう風に思ったりしますが、どうでしょう。

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