栄養の補給は必要な救命治療なのであると考えるなら、
延命治療は意味のない治療とは言い切れませんよね。
現実問題として家族が延命治療のための栄養の補給を拒否すると言う例はほとんどありません。
アメリカでは栄養を与えずに、安楽死させるという事は当たり前のようになされているようですが、
延命治療の問題を抱える日本においてはそうはいかず、延命治療の是非は日本ではまだ判断が
つきかねているんですが、その問題はどのようにすれば片付くのでしょうか。

延命治療での倫理の裏技なんです


脳死患者は生きているといことを考えると、倫理上、延命治療をするというのは、普通はできないことです。
延命治療の法改正では、家族の同意があれば、子供から子供への移植が可能になりますが、これこそ倫理に抵触するものです。
どちらもが尊い命であることに変わりはなく、二人の命に軽重をつける延命治療は、おかしな考え方と言えます。
死は心臓の鼓動が停止し、霊魂が肉体から完全離脱したときをいうのであり、脳死での延命治療は、まさに神に対する冒涜です。

延命治療をする場合、受ける側も提供する側にも、どちら側の親や家族があり、命の重さは同じです。
重篤な患者を愛する気持ちは尊いものですが、延命治療をするにあたっては、倫理上、双方の愛に順位はつけられません。
脳死状態からの延命治療というのは、受ける側は、自分の子供さえ助かればいいという考えになります。
ただ、一人の命を救うために、もう一人の命を絶つ延命治療というのは、明らかに倫理に反します。
つまり、適性な行為ということができないのが延命治療であり、自分の子を助けたいがための自己愛にすぎません。
他人の子の命はどうでもいいという利己主義な愛が、延命治療にはあり、それは許されないことです。
ドナーが現れるのを待ち望む延命治療は、とりもなおさず、他人の死を望んでいるのと同じことなのです。
そしてその主体は霊魂にあり、肉体は霊魂の容器であることを、延命治療では、認識する必要があります。
脳死状態の生体から臓器を摘出し、死に至らしめる延命治療という行為は、殺人行為と何ら変わりません。
命に優劣をつけることなど出来ないにも拘らず、それをする延命治療は、倫理上、問題があります。

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