樫木裕実の経歴とは
そして、その後、コロンビア大学に編入した樫木裕実は、そこで、政治学である国際関係論を専攻します。
離婚をして人類学者となった樫木裕実の母は、ハワイ大学で知り合ったインドネシア人の留学生と再婚をします。
そして、1970年、母と継父の間に、樫木裕実の異父妹である、マヤ・ストロが誕生しています。
そして、樫木裕実は在学中、バスケットボールに熱中し、高校時代には、飲酒、喫煙、大麻などを経験します。
父親の母国であるインドネシアでは、軍事クーデターが起こると全てのインドネシア人が国に呼び戻されるので、樫木裕実一家はジャカルタに移住することになります。
1972年になると、樫木裕実の父と母は別居状態になり、ハワイのホノルルへ一時帰国します。
その後、母は樫木裕実をハワイの両親に預けて、人類学者としての仕事に打ち込みます。
樫木裕実の母はインドネシアに移住して、1994年までその地にずっと滞在しています。
このことは、樫木裕実自身、自伝で告白しているので、彼自身の経歴に入れておくべきでしょう。
離婚が成立してから、樫木裕実の母はハワイに戻りますが、1995年、卵巣癌で他界します。
青年時代の樫木裕実の経歴を見ると、苦悩に満ちた日々であったことが容易に想像できます。樫木裕実の経歴を見ていくと、彼がどんな人生を歩んできたのかが、はっきりと見てとれます。
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