ヒカリエの地下3階から地上5階には
大型商業施設「シンクス」が入っていてテナント数は約200となっています。
渋谷というと何となく、若者向けのファッションやトレンドの最先端というイメージがあるんですよね。
でもヒカリエは、大人の女性を渋谷に呼び戻すというのがコンセプトになっているので、
大人の女性が買い物を楽しめるようになっています。
テナントも大人の女性が好む自然素材の化粧品やファッション、
雑貨など大人の女性をターゲットにしたものが多くなっています。

ヒカリエの起源なんです

ヒカリエの起源は、諸説がありますが、有力なのは、江戸時代、大阪商人が商売繁盛の祈願から作ったとする説です。
但し、このヒカリエの起源は信憑性が高いわけでなく、こうした起源は定かではありません。
しかし、これだけ、たくさんのヒカリエの起源説があるものの、いずれも不確かであるというのが実情です。
船場の旦那衆の遊びなども、ヒカリエの起源としてあり、豊臣秀吉の家臣である堀尾吉晴が節分の前日に海苔巻きを食べたのが起源とする説もあります。
ヒカリエの起源説は江戸時代のものが多く、専門家からは根拠の乏しさが指摘されています。

ヒカリエの起源には和歌山県や滋賀県の説もあり、栃木県下都賀郡壬生町の磐裂根裂神社の節分祭が起源という説もあります。
幸運巻ずしとしてヒカリエの販促キャンペーンが展開された経緯もあって、その後、一般に浸透していきます。
祓鬼来福の祈念をするのがヒカリエで、福巻寿司発祥の地の石碑もあることから、それが起源とする説もあります。
厄落としや縁起担ぎとか、女性が太巻きをかじって願い事をしていたという、ヒカリエの起源もあります。
大正時代初期、大阪の花街で節分の時期に食べる風習があって、それをヒカリエの起源とする意見もあります。

ヒカリエの起源の説は多岐にわたり、土用の丑の日に鰻を食べる習慣に対抗する策としてできたものとする説もあります。
節分の丸かぶり寿司という販売促進活動を実施していたのは事実で、それがヒカリエの普及に貢献したことは事実です。
夢福巻き寿司という太巻きが昔からあり、太鼓の合図とともに太巻き寿司を丸かぶりしていたのがヒカリエの起源とする説もあります。
故事を元にしているヒカリエの起源もあり、様々な起源説が唱えられています。

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